だってさー。

一方恋愛は、ときとして、人間性なんかすっ飛ばして、とにかく理由もなく引き込まれることがある。「恋はするものじゃなくて、落ちるもの」っていう名言もあるように、ぶっちゃけ、言葉が通じなくたって、相手のことなーんにも知らなくても恋はできる(続かないけど)。友情が頭に属するものだとすれば、恋愛は、本能に属するものって感じでしょうか。実際、恋に落ちたときの人間の脳みそには、平常時には出ない恋愛ホルモンが出まくって、相手の欠点などが見えなくなるフィルターのような役目をするんです。だから、「恋は盲目」なわけ。そのホルモンが数カ月で切れるから、目が覚めると。だから、恋をするのに、必ずしも人間性へのリスペクトや共感は必要ではないんです。


逆に、たとえば外国人とか、いかにも遺伝子が遠い人と恋をすると、ものすごくロマンチックで燃えあがったりします。それは、その相手の子どもを授かりたいという本能の働きなんですね。「あの人のどこがいいのよ?」って聞かれて、「え……さぁ? どこがいいんだろう」って思うことはままありますが、それもそのはず。理由などわからない、説明ができないけれど、惹かれる、好きになるのが恋愛。遺伝子レベルで、相手を好きになっているんですから、言葉で説明できるようなことではないんです。


結局、恋愛って、自分の感情が無条件で動くこと。そして、エゴがむき出しになって相手のエゴと闘いだすもの。「会いたい」「もっとやさしくしてほしい」「抱きしめてほしい」「私以外は見ないでほしい」、そんな不条理とも言える衝動に突き動かされて、同じ感情を相手からも受け取ることによって、摩擦が起こる。単なる友情であれば、相手に対してそこまで束縛する気にもならないし、所有欲もわかないものが、恋愛感情になれば、そうした相手に対する欲求が噴き出す。相手が自分をどれだけ愛しているかが気になるし、どれだけ会っても飽きないくらい会いたくなる。


ドロドロした恋愛もね、したほうがいいんですよ、人生一度きりなんですから。恋したら、できることは全部する、想いの残っている間は、全力でその恋に賭ける。そのほうが、案外失恋しても、あきらめがつくものです。恋愛相談のサイトをやっているので、「上手に恋をするにはどうしたらいいか?」「傷つかないように恋ができる方法は?」なんていう問いの答えを求めてやってくる人もたまにいますが、そんな近道ないよって言いたい

うまくふるまうことが恋のゴールではないと思うんです。傷ついても、ドロドロになっちゃっても、泣いても叫んでも、いいと思います。だって、それが恋をするっていうことだから。恋にしっかり全身全霊で立ち向かえば、傷だらけになるのは当然です。そして、その名誉の負傷があるから、人が傷ついたときにやさしくできるし、自分が人を傷つけてしまったときに、同じだけ痛みを感じることができる。私はそう思います。


http://woman.mynavi.jp/article/130627-015/